火を熾す

冷えきった暖炉に、小さな火をまた灯せるように。風を送って、また大きな火を熾せるように。

かさのきもち。

かさのきもち。



雨。

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小雨?

どしゃ降り?



いいえ、しとしと雨。

鮮やかなrainy day.



でも小雨でもいいよ。
ほんのり明るい灰色の空は好きですから。


どしゃ降りでもいいですよ。
世界が静かになりますから。






傘。

カサカサな
かさのきもち。




高級な傘の気持ち。

ビニール傘の気持ち。

チャンバラに大人気な傘の気持ち。

盗まれた傘の気持ち。

雨やんだら捨てられた傘の気持ち。
雨上がりの陽光の下で
水たまり守ってる傘の気持ち。





雨が、落ちる。
傘が、受ける。





無機質な低音な不規則な音。



重く落ちて軽く跳ねる。






かつてこんなことを書きました。
雨になりたいって書きました。



"雨降らないかな

週に2日は雨が欲しい
煩いものが鳴りを潜めて
日の陰にたまった汚れを洗い流してくれる
定期的な雨が欲しい

ざーーーーーーーーって
静かだけど存在を主張するみたいな強いやつで
心が休まる
そんな雨が欲しい

垂れ込めた雲越しの最低限の光が
ぼんやり家を照らして
コーヒーを入れながら
本を選びたい

うるっさいもの全部遮断して
薄着の長袖が合うような気温の
あの閉塞空間を生み出す
あの雨が欲しい

うるさいんだよ
なんでもう少し静かになれないの
そうやって馬鹿みたいに騒ぐだけだから
いっぱい見落とすんだよ

静かにしてよ
台無しにしないでよ
あと五分でいいから
ちょっと黙ってて 

雨降らないかな
土曜の朝の
雨降らないかな

ってゆうか、雨になりたい
無数に打ち付ける雨粒になって
落ちたい
落ちてゆきたい
アスファルト
すぅーっと
草に、森に
音もなく
生い茂る葉に
ただ、重力に任せて
川面に、海面に
鉛色の世界を
石に、岩に
幾万の同士たちと
砂漠に
下ってゆく
打ち捨てられた町に
ポツリと
トタンの屋根に
ポツリ、ポツリと
あの人の傘に
打ち付けられて
どこか懐かしく感じる大地に
パラ、パラ、パラパラと
僕の全てで
パラ、パラと。"




賢者は雨を大切にしました。


雨のように愛しなさい。
雨は音もなく降り、
ほとんど人に気づかれない。
しかし、川をあふれさせることができる。

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マジカルモーメント 賢者のつぶやき/パウロ・コエーリョ




世界が限界でもう堪えきれないって
まぶたを閉じて

まつげを伝って涙を垂れました。



人はそれを雨と読みました。

地球は恵みと読みました。

ところが傘は、

悲しみと、美しさと、切なさと、

愛と読みました。






鈍く響く不規則な雨音。

傘に当たって跳ね返る。





雨は世界を静かにして
傘はそれを楽しむみたいにハミングを奏でている。





傘になるのもいいですね。



いったいどんな気持ちなのでしょうか。


世界の涙を全身に受けるというのは。


そして下にいる大切な人を守るというのは。





雨と踊りたい。

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傘とは、いいですね。


でも晴れになったらお役御免。


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雨の日のために生まれて、
雨の日のために死ぬ。
僕は傘。






やっぱりちょっぴり寂しいかもしれません。








でも残念ながら雨でも傘でもない人間な私は







雨の日に、机に顔を横向きに臥せて

あくびを噛み殺すあなたが好きです。

読書とは戦略や実利的価値やスキルアップ(笑)だけのためにあるわけではありません。本とは、言語を所有する人だからこそ持ち得た、精神活動の営みです。

読書の利点、みたいなことに書いてあることが
あんまり好きじゃないので心の内をまとめました。

日本語なんて役に立たないって、英語とビジネス用語を学べってよく言われるので
心の内をまとめました。

気分を害されたかたがいらしたらごめんなさい
一意見として捉えてくれたら幸いです。

でもね、
読書って本来、
美しい精神の営みだと思うんですよ。



日本語って 
あり得ないくらい繊細で美しい言語だと思うんですよ。

ここは譲りません。
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https://www.girl-who-reads.com/2012/02/share-book-love-3.html?m=1


・本を読むことは成功の秘訣だ
・たくさんメリットがある
・賢くなれる
・語彙が豊富になる
・知見が広がる
・コミュニケーション力がつく
・ロジックシンキングできるようになる
・ロールプレイングする力
・なんか賢そう
・格好いい、お洒落。
・ビジネス書、自己啓発本は役に立つ
・空き時間に読め、線を引け、考えろ
・同時に読め
積読しろ
・役に立つから。役に立つから。



小説の優先度は低くなっちゃんだよね

現実で役に立たないし
ああ面白かったねで終わるから

あんまり役には立たない






…そうじゃないだろう。
なんで本読むのに''意味''を求めるの
ああ面白かったねで終わって
何が悪いんだよ



美しいからでしょう
一人一人の作者が筆に託した想いと
美しく繊細な独特の文章の中で
出会うためだろう
面白いからだろう
夜が更けるのを忘れて
無我夢中に
インクと紙の世界で
もうひとつの世界に浸るためでしょう?
生き生きと描かれ、ページという制限ある生を与えられた登場人物たちと対話するものでしょう?
紙の匂いを吸い込んで
至福の癒しにあやかる
絵のない故の自由な想像の中に思い思いに翼を広げる
あなたの感性を豊かにして
日々の中に希望を灯してくれる
それが小説でしょう

ちなみに児童文学を馬鹿にする人は荒んでるよ
あの中にどれっだけ大切なものがちりばめられてるのかも知らずに



即戦力の有益性の有無
実用性の有無
目に見える形で何かを手にいれないと落ち着かないんだ



本はただのツールじゃない
芸術であり、それぞれが唯一無比の世界なんだよ

役に立つ、役に立つって言ってもいいけどさ

それだけで専横して生臭い現世の波で覆わないでよ

もちろんそういうメリットもあるよ

でもさ。

あなたの子供に、これから本を読む人に読書を勧めるときは

そんな寂しいことだけを語らないでよって
思うなあ。



おれは所謂ビジネス用語ってのがなんか嫌いです虫が好かない生理的に厭。

無駄にカタカナにしたり
難しい専門用語使ってるのカッコいいだろみたいな
確かに、ニュアンスの正確さを伝えるために必要だな、って思うときはあるよ。
でもさ
今、どれだけの人が「伝えたいこと伝えられない」って悩んでると思う?

綴られた稚拙な文章と
何一つ心に響かない只の線の羅列は

言葉というものを生み出すに至ったその本質を放棄して

あなたの心の叫びを、無機質な紙面や液晶に投げかけているだけですよ。

ロジカルシンキング?
論理的思考力じゃ駄目なの?
論、理、的。この漢字全部が固有の意味を持ってて3つ合わさって論理的の意味になる

これだけ視覚的な言語ってそんなにないと思うのに
日本語ってあり得ないくらい美しいのに
あんなに繊細で儚くて力強い言の葉をないがしろにして

やれ英語だ、古文はいらねえうんたらうんたらって風潮
可哀想にって思う



まあどんなこと考えながら使ってるのか知らないから
勝手に受け取ったイメージからの意見なのでお気を悪くされた方には申し訳ないですが。

言葉は表現です。
本は人の精神の営みです。

本を書くというのは
語るということです。




汚さないでください。

謙虚なふりをするほど、傲慢なことはない。

 

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「謙虚なふりをすることほど、傲慢なことはない。」

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「マジカルモーメント 賢者のつぶやき / パウロ・コエーリョ

 

 

なにかしらアクションを起こしている学生すべてに伝えたい。そしてなにより自分に言いたい。

 

 

「慢心」と「自信」の違いについて。


 

褒められることが多いと思う。

そして、怒られることに、馬鹿にされることにそんなに慣れてないと思う。

基本優等生。家族親族、近所の人、先生、友人、出会った人たちに、

若いのにしっかりしてるね。って言われるよね。

 

 

 

やりたいことがちゃんとあって、それに対してある程度はちゃんとステップ組んで進んでる。

フィードバック受けることはあっても、呆れられたり、将来心配されたり、

自分の中身のなさとかに凹むことも

そんなにないんじゃないかな。

 

 

 

「もうそんな年なんだからちゃんとしなさい。」


 

こんなお小言からは遠いところにいる、はず。

 

 

 

 

 

平凡は嫌だ。

「普通」に埋もれたまま、回れ右。

なんとなく進学。みんなやるから自己分析。んで、できるだけ安定した企業に、就職。

40年くらいを「あー人生つまんねー仕事したくねー遊びてーっ」ていって過ごす。

そんなのごめんだよ!って。

だから考えた。そして、動いた。

動いて、動いて、考えて、考えて、出会って、刺激受けて、なんかの目標達成して、気づいたら刺激を

与える側に。

なったんだよね。


 

 

 

 

そこで生まれるのが、自信と慢心だよ。

 

 

 

 

 

自分はいい意味で普通じゃない。

周りよりしっかりしてる。自分を話せる。

尊敬される。模範と言われる。

すごいね。

このままなら自己肯定ちゃんとしながら

承認欲求満たして

生きていける。

 

でも慢心はプライドに変わる。
高慢になるんだ。
余裕ぶっこいて、下ばっかりみて、上は見つつも自分は大丈夫だって

 

 

 

 

安心して。

 

 

 

 


のほほんと生きてる人たちをどっかで見下してる。

 

 

 

 

 

よお、意識高い系学生くん。

 

お前はついに、一番嫌いなもんに成り下がっちまったな。

なに安心してんの。なに外面よくしてんの。

自分の上の人には謙虚なふりして
実のところは安心してるだろ。


 

まだ弱いでしょ。
足りないでしょ。ほんとに。
見かけだけすごくなって、大切なものいろいろ
捨ててんじゃん。

忘れがちになってるだろ、身近な人大切にすること。

家族にありがとうをいうこと。

素直に人を尊敬をすること。

どんな相手でも、慮ること。

無意識下で相手の価値観の否定をして

自己正当化に忙しいね

 

 

 

叶えたいことはなんですか。
今のあなたでできますか。

 

 

 

ちっさい器のまんま。

 

 

 

 

だめだよね。

しっかりしてください。

確かに、優れている点はたくさんあるかもしれない。
でも、

いつになっても、学ばされることばかりなんだよ。

ないがしろにして、失ってから、思い知らされるんだよ。

 

 

よわーいね。

 

 

 

謙虚さをもとうね。

今日出会う人たちはみんな、あなたにない良さをもってるはずで、学ぶことはたくさんあるはずだね。

みんな違って、みんな素晴らしいね。

 

 

 

自分を否定しろってんじゃない。
傲んなって言いたいだけ。
何度でも、原点に戻ってください。

慢心。これは自分の一番の弱点のひとつです。
真の意味で、謙虚に成りたい。
こんな記事を書くことすらそもそもが驕りなのかもしれないけど
心から人を尊敬できる人に成りたい。
誰しも、特有の魅力があるから。
こんな当たり前のことわかってないから。

上を目指せ、満足するな、結果にコミットしろってのを強調したいのもあるけど、
一番は
大切なものを見失わないようにね、ってことかもしれない。

 
 

後ろは任せた。ゆくゆくは1°から179°、181°から359°まで任せたい。でも真正面は譲らない。

 

誰だってみんなみんな、成し遂げたいことのひとつやふたつはあるものだ。

それに出会った時衝撃を受け、これをしたい。と強く願う想いや熱情が。

今はまだない人も、規模や程度が違うだけで、なにかしらあったりするものだ。

 

 

しかし、残酷なことに

能力には越えられない壁があり

分野には向き不向きがあり、

時間には限りがある。

 

そして優先順位と心に占める割合その他を吟味して

人は取捨選択をする。

 

もちろん、全部やってやろう!という気概を持つものもいる。

でも、みんながみんな、そんなに簡単に強くなれるわけではない。

中途半端に全部手を出して、専門性のないまま淘汰されてしまうものもいる。

 

 

これを気合と努力が足りないと叱咤するのか。

はたまた、選択と集中ができていないと諭すのか。

又はその両方か。

 

常に理想を描き、現実を見ろと諭される皮肉な矛盾をおれたちは生きている。

 

 

そしてその問いに解はない。

 

 

だから、少年漫画とかに燃えるんだ笑

 

 

 

本題に入る。

 

 

おれは動物愛護に強い想いを持つ人間だ。

そして同時に国際協力への想いも強く持っている。

最近は社会貢献系をなしにして芸術関連のことにも熱意がある。

 

タイムラインで「人間死ね」って投稿を繰り返したり、20万払ってカンボジアに行ったり、十数年間落書きを続け、白紙があれば勝手に手が動いてなにかしら描いていたりするくらいだから間違いない。笑

 

 

 

そしてそれぞれにやりたい!と思った瞬間が必ずある。

 

 

轢き殺された猫の亡骸を泣きながら埋めた時。

家畜の非人道的扱いを見て、心がえぐられたように感じた時。

スラムの子どもたちに日本語教育を通してお前はクズじゃないと、お前だって夢を持てると、やればできるんだと自信を与え続けている日本人の存在を知った時。

病んだ時、ひたすら絵を描いたり、音楽を聴いたり、漫画の世界に逃避して、心救われた時。

 

 

 

ほんとは全部やりたいよ。欲張りだからね。

 

 

 

 

でもそんな効率のいい人間でもないから、おれも選ばなくてはならない。

 

 

 

 

選択と集中という言葉がある。

 

 

 

 

今日、中東の社会空間という授業があった。

外務省の仕事で、レバノンに飛んだ話を教授は語り始めた。

教授がとある難民の家庭を訪問した時のことだ

子どもが二人、うつむいて必死に何かをしていた。

そこにあったものは何か。

小さい紙いっぱいに書きなぐられた足し算、である。

所狭しと書き込まれた足し算に感銘を受けた教授は

「将来が楽しみですね」と子どもらの母親に笑いかけた。

途端、母親は泣き崩れた。

おろおろとする教授に彼女は声を詰まらせながら

「どんなに想いや夢があっても、この子たちに未来はないのよ。」

と言葉をこぼした。

 

「今ここで勉強できていることがいかに幸せなのか。」

 

教授はそう話を進める。

 

「彼らとイコールになるような気持ちで、君たちも日々を生きなければいけない。それこそが、何よりの国際協力なのだから。」

 

とても心を動かされた。授業後には泣きながら「私は難民を救いたいのだ」と教授に語りかける女子生徒の姿もあった。

 

 

 

ここで自分の中で面白いことが起こった。

もし、これが一年前であったら。

たぶん自分もその女子生徒と一緒に話を聞き、

“国際協力はおれのやり遂げなきゃいけないことなのかも。”

と思ったかもしれない。

 

でもそう思わなかったのだ。

そしてそれは、今だから、そう思わなかったのかもしれない。

 

その理由はおそらくこの2つだ。

 

  1. それは見たい世界なのか。成し遂げたいことなのか。
  2. 自分がいなくても安心して任せられる人たちがいるのか。

 

である。

 

ひとつめ。見たいのか成したいのか。

 

結論から言えば、国際協力は見たい。

動物愛護と芸術は成したい、やりたいである。

 

芸術は言わずもがな。絵を描くのも文章書くのも感動するのも大好きだ。これは自分でやりたい。というか自分でやらねば楽しくない。

 

そしてよく考えた上で、国際協力は“成し遂げたい”のではなく、その優しい世界になっていくのを“見たい”。

 

その世界の実現を見たい、願う、のであって、決して自分がプレーヤーでなくてもいい、ということである。

自分の手で救えなくても、誰かの手で救われるのならそれでいい。結果が大切だ、ということだ。

 

そしてふたつめ。安心して任せられる人がいるかいないか。

 

昨年、カンボジア国際協力ツアーなるものに参加し、その後も主催団体に加入、みんなと寝食を共にし、想いを語り明かす日々を送った。

 

そこではみんなの熱を感じた。過去を聞いた。未来を語った。

一緒に笑った。一緒に失敗した。そして一緒に起き上がった。

世界で一番好きな人たちがそこにいた。

 

そして思った。

「ここには、世界平和を成し遂げたい素晴らしい人たちがいて、それは心から信頼できる大好きな人たちなんだ。」

 

もちろん、彼らと一緒に平和の前線に立つ未来も憧れる。

でも、おれの成したいことは別にあって、たとえ将来、平和の前線におれはいなくとも、必ずこの人たちがいる。そう信じられる。

 

だから、世界平和は彼らに任せることにした。

自分にとって死角になる背後を任せるかのごとく。

 

この二つの理由故に、おれはその教授の話を聞いても揺れる事はなかったのである。

 

後ろは任せた。

こう思えるようになったのが何より面白い。

でもまだ死角はいっぱいある。

正直、真正面である角度0°を見つめるので精一杯だ。

じゃあ、0°の先にはなにがあるのか。それは自分の手で感動を呼ぶこと、そして

 

動物愛護、である。

 

なにがなんでも自分でやりたい。

 

昨日同じ想いを持つ友達と一緒に、とある方とお話しする機会があり、三人で動物と人間の共存する社会を作りたいね、と語り合った。

そして気づいたら日が暮れてた。

語り合ったビジョンを成し遂げた自分を想像してた。

救った動物たちに顔を舐められ、笑い転げている未来を妄想してた。

そしていつも動物愛護関連ニュースを見たときの気持ちを思い出した。

 

 

 

こいつらを切り捨てておれはおれを保つことはできないんだ。

 

 

 

 

動物と人間の共存社会の実現は見たい世界であると同時に、そこに自分が関わっていないと許せないものだった。でないと、押し潰されてしまう。

 

 

ああ、ここはおれの持ち場なんだ。

 

 

 

 

 

だからここは任せてほしい。

 

でも、背後を除いた残り358°分、まだ残ってる。

 

だから、そこも任せられる人たちに出会いたいなって思う。

 

でも、こっちは、任せてくれて大丈夫。

 

きっとやり遂げる。

 

 

持続時間10分。

人は単純だなってつくづく思う。







簡単に
やる気になったり
落ち込んだり
走り出したくなったり
なにもかもめんどくさくなったり
踊り出したくなったり
引きこもりたくなったり






笑いたくなったり
泣きたくなったり。







夢を追いかける人は綺麗だ。
何かに打ち込む人も。

エネルギーに溢れて

傍目から見ると透き通るように純粋で

夏の青空が似合うようで。











でも意外と人間臭くて俗っぽかったりもする。



目新しいものに興味を奪われたり
惰性をむさぼったり
今日だけ、ってわがままを許して




はぁって憂鬱に
空を見上げてたりして。
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はぁって空を見上げる。









物悲しい曲をiPodから流す。

電車に揺られながら
窓明かりが引き伸ばされた光線になるのを
昼下がりの木漏れ日が髪の毛を暖めるのを
ハミングに重ねて






はぁって空を見上げる。





春は決まって元気になる。
夏はなんか走ってる。
秋は落ち着く。
冬は泣く。
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いつもは聴かないプレイリストを流したら
明るい系の曲が流れてきて

Yeah, yeah, yeahって

感情を煽るように
夢とか、道とか、希望とか、自分らしさとか。
なんかそういうのを
言い得て妙に描き出すそんな歌。

サビを聴いたらゲームオーバー。













刹那。















口角くいっ。


目尻は下がってぇ~


ビートが心臓と合致。


瞳には輝きを与えましょう。









持続時間10分。












人って単純だなってつくづく思う。

人って素敵だなってつくづく思う。










1秒1秒を全力で息して
息せき切ったらまた明日。











にこって空を見上げる。


そうやって生きてる。


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おばあちゃんはマリリン・モンローみたいな猫と暮らしてた。

これは、
金盞花を愛でるある老婦人と
共に添うように生きる老猫の話だ。

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父方の祖母の米寿祝いをすることになり、両親共に九州生まれなこともあって、父母それぞれの実家に帰省をした。

 

 

 

これはその帰省の中で母方の祖母の家を訪れたときに垣間見た、ある日常のひとひら

 

人と動物の不思議な、そしてどこか心暖まるような。

 

この瞬間を残したい。

 

この温度を届けたい。

 

 


ーーそんな"在り方"である。

 

 

 

 

 

ーーー生き方そのものにも共感を持つもんやから....

祖母はそっと言葉を漏らした。

齢にして、それぞれ82と16。

 

互いに喧騒に溢れた社会からはそっと引退し、静かに時を刻む日々だ。

ひとつひとつを丁寧に、そっと。
一人と一匹の時間は流れてゆく。

 

 

 


ところで、この老猫、名をリクというが、水を受け皿からは飲まない。

「綺麗好きで、洗面所の流水からしか受けつけないのだ」と祖母は可笑しそうに笑う。

だから「飲ませて」と言われる度にそっとその体を持ち上げてシンクにのせてやるそうだ。

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水を飲み、用を足し、眠る。


このルーティーンを祖母は三点セットと呼ぶ。

 

「私、自分がもう年取ったから、あぁもう、この三点セットでよう頑張るなぁぁって思うんよ」

 

老猫リクは、その体が衰えてもなお懸命に、三点セットを自力で回そうとする。

そこに生きるという姿を見るのだ、と祖母は言う。

必死に、自分の面倒を自分でみようとするのだと。

 

 


もう満足にしっかりと歩けない。

お尻をくねくね動かしながら歩く。

「後ろから見てるとマリリン・モンローみたいでね」
と祖母は茶化す。


かつての敏捷さは失われ、
今までは当たり前のように飛び乗れていた棚にももう自力では、届かない。

 

 

トイレのために何度も起きる。
時には粗相もする。
清潔な水を飲もうと、流水をねだる。
食べるものも、一流のコック並みに選ぶ。

 


「一人でから生きるために戦ってるなぁって思って」

 


その姿に自身を重ねることもあるのだろうか。祖母は、たとえその世話が大変でもどこか誇らしげに話を続ける。

 

 

 


「やっぱり...あの…情っていうのはさぁ、こっちがかければ変わってくるよねぇ…」

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かつて祖母の家には他にも猫がいた。
今は亡きその猫は自己主張が強めのガッツのある猫だった。

対してリクは大人しめな、ふと気づくと、どこにいるのかもわからないような、そんな猫だった。

十数年つけている首輪もどこかの猫のおさがりだという。

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しかし今やリクは、やっとその存在を認められたかのように、毎朝早くから水をくれと祖母をおこし、ご飯をねだり、眠り、生きる。

祖母にその存在を知らせている。

借り物の首輪をぶら下げながら。


「こんなに晩年になってから、わたしもいつも寂しい思いしてるからって思うしね、生き方そのものにも共感を持つもんやから、自分に照らし合わせて、

あんたも自分のノルマを果たしよんなぁって。
そんな感じ。」

 

 

 

ルーティーン。ノルマ。

 

 

 


「だけん、それはもうそれで、協力するからねぇって」

 

 

 

 

 

協力。

 

 

 

一緒に生きる。

 

 

 


老後の日々を、ゆっくり、ゆっくり、回す。一緒に回す。

 

そこにあるのはただの飼う飼われるの関係ではない。

 

連れ添うように。寄り添うように。

 

長い歳月を生きた聡明さと思慮深さをしわにたたえ、
残された日々を共に歩む。

 

 

 

 

 

 


亡くなった猫の墓には墓標の代わりに、 金盞花が添えられている。


美しい黄色い花が、春の陽光に包まれる。

 

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窓辺から射し込む、昼下がりの光のなかに、静かに歳を召していく、

一人と一匹の姿があった。

 

 

 

 

 


これが、動物と暮らす、ということ。
ひとつの共存のかたち。

 

 

 


大切な家族と、生きるということ。

 

 

 

 

たける

ヨーロッパで「世界の車窓から」をしてやるって決めたんだ。episode.1

みなさんおはようございます。こっちは今朝6時です。

いや、それにしても寒い。舐めてたわヨーロッパ!!
って思ってたらバス停で声をかけてくれたパリに留学中の日本人女子大生(素敵かよ)から

「いや、寒い!!なんか今寒波きてるらしいよ」

と教えていただいた、





あ、やっぱコレ寒いんだ良かった!!!(ズビッ)









一日目。
っても時差がぐっちゃぐちゃになってるので、これは寝る前に更新していこうと思います👍
時間があまりないのでぐだぐだな文章になりますが悪しからず。
それではダイジェスト版でお届けします。


◆2/25 22:00 成田
換金が時間ギリッギリになって、

え。これやばいんじゃね????

となりつつも、informationのお姉さんの優しさ溢れる対応で無事搭乗できました^^
お姉さん本当にありがとう。

こっから11時間。長い。ケツが痛い。
後ろ座席の人たち、初めて会ったのに意気投合してめっちゃ話し込んでる
となりのおばちゃん寝込んでる
うらやましいさみしい。(笑)






◆2/26 04:55 ドバイ

いやー初めての海外一人空港だよ怖いよ
どっちだよトランジットだからconnectionってやつか??
って感じでもたもたとしながらもなんとか乗り継ぎ便のゲートについた
カンボジアの国際協力ツアーにいったときのホーチミン空港みたいなアジアンな匂いがした。懐かしかった。みんな元気かなぁ。

夜行バスばっかりなのに枕を持ってないことに気づいて、be relax ってお店で相棒を購入。
これでもう首は大丈夫!

さぁアムステルダムへ!!








◆2/26 12:40 アムステルダム

ついにきた!Europe!エウロペ!!
大好きなEd SheeranのAll Of The Starsの歌詞にも登場する、運河の美しい町。レンブラントやアンネフランクの家がある町。


でもまずつっこませてください。
トイレ、位置が高い。
なんだこれは。低身長の人は使うなと。そういうことなのか。
便器の高さはヨーロッパハイスタイル仕様でした。みなさん気をつけて。👍

気を取り直してまずは市内までのTicketsを買います
カードをいれる場所がわかりません。
あららららおろろろろわっしょいわっしょい

困っていると、ハンサムな金髪なお兄さんがさらっと
「こ・こ・だ・よ♪」
って教えてくれました。惚れました。
イケメンは心までイケメンでした。

※オランダだけじゃないと思うけど、チケット買ったら必ず機械とか打刻機でタッチ、打刻しなきゃいけないんですよね。
でも改札はないんです。
つまり、知らないとお金ちゃんと払ってても無銭乗車になります。危ないね。

スキポール空港からセントラル駅へ向かいます
景色が流れる。
赤レンガのおうちたち。
あぁ、ヨーロッパだ。

セントラルに到着。
トラムを使うといいんらしいんだけど、その日の23時には夜行でベルリンにいかねば、なので徒歩で駅周辺を散策することに!
初めてだし、無理に観光施設に行く必要はないさぁ。
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アムステルダムの町へ出た最初の感想
寒い。

帽子や手袋がいっぱい売ってました。いやぁ、
カゼガツメタイヨォ!!
コートをかき寄せてダムラーク大通りを真っ直ぐ、中心地ダム広場へ向かいます。
ダム広場には大きな白い戦没者慰霊搭が静かに立ち、アムステルダムの土地を見下ろしていました。向かいにあるのは王宮。精巧な造りで、とても美しかったです。


と、感傷に浸っていると、搭の下で子供の歓声が。なにかと思ったら
鳩。
鳩の大群がある男の人を囲んで
ぶわぁぁぁぁ!!!!!!って飛び回っていました。





鳩おじさんです。
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お菓子をばらまきながら鳩おじさんはヒーハーしています。すごく楽しかったです(語彙力)




そのあとはおしゃんなカフェでコーヒーを飲んだり色々ぶらぶらしたんだけど、一番面白かったのはコンドームの店にであったことですね。www
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いや、サイコーだよあそこw
可愛いイラストでなんの店だよと思ったらコンドームかよ!笑笑
若い女性がたくさん入っていくのが意外でしたね
いや、にしても面白かった!笑
最初は子供用のおもちゃのお店かと思ったくらい可愛い外装でした。大人のおもちゃでしたね(気を悪くされた方がいらしたらすみません)




そのまま歩いていると
スーパーを見つけたので入ってみました
自炊もありかな、って思ってたからちょうどよかったですね
その日の晩御飯でも買おうかなと思っていると、、、
パンの棚が!

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や、安い!!





そして食パンカット機まである!
もうどうにでもなれ、っと食パン一斤とチーズ、マスカット、水を買って気分はすっかり現地人。
意気揚々と再び散策に繰り出します♪

裏の方にてくてく歩いて行くとランドマーク?の時計塔とそれを取り巻くようにお洒落な町並み、そしてアムステル川に行き着きました。
運河と夕日が相まってもうほんとに素敵なコントラストが見れました^^

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自撮りは恥ずかしいので観光客っぽい人を狙ってCould you take my picture?
を駆使し、写真をゲットします。みんな、いい写をありがとう!!


時間はまだあったので、慰霊搭まで戻ってくると、ギターを片手に歌う青年の姿が。
いやーヨーロッパだわぁ。
素敵やわぁ。
と聴き惚れていると、今日一素敵なことが。
いつの間にか人が増え始め、シンガーはEdのthinking out loudを披露。Edってほんとに人気なのね。
みんなリズムに乗り出して気づけば30人くらいで肩を組んでハミングが始まって。
サビのところであるカップルの男性が女性にプロポーズしました。
言葉に表すのはすごく難しいのだけど、とにかく、とっても暖かく感じました。アムステルダム大好きです。

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とまぁそんなこんなで今ベルリンに向かっています。
海外で一番良かったのは人の暖かさ、ってよく聞くけど、本当だと思いましたね。お店にはいるときはHelloと交わすのがマナー。困っているときはすぐに手ををさしのべてくれる
音楽でひとつになれる。気温はすごく寒かったけど、心はとても暖かい一日でした^^

明日は遂にユースホステル
友達100人できるかな
楽しみだ!